検索
カテゴリ
ただの日記 Cinema・TV 走ること Camera・Photo ショコ・シェイプアップ 烏合のおもちゃ キモカツ Voyages Foods music books France Japan Cats トツナン闘病記 トツナンメモ 暖房 はじめに 以前の記事
2021年 09月 2020年 06月 2020年 04月 2020年 03月 2019年 03月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 10月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 お気に入り
その他のジャンル
ブログパーツ
|
2012年 05月 18日
最近は、トツナンカテゴリーを書いておりませんが
久しぶりに、書いておきたいと思うことがあったので。 闘病中のころ(ま、今も闘病中ですが、とくに最初のころ) 「善意の励まし」に涙することがよくありました。 それについては、リアルタイムで書いてあるんじゃないかな。 自分では、読み返す勇気がないので、わからないけど。 でも、書いてないかも知れない。 善意の励ましに、涙するって、感動して、泣くんじゃないよ いらいらして、フラストレーションがたまって、泣くという意味。 善意で言ってくれているのでしょうけれど 「治らないなんて、あきらめちゃだめ。 可能性を信じなきゃだめ。全てを試して もっと、あきらめないで、ポジティブに考えれば、必ず治るはず」 というような、そういう類の励ましです。 耳が聞こえないというのは、あまり見えない障害なので わかってもらえないのかと、思いましたが たぶん、そういう問題じゃなく そういう「善意の励まし」をする人は、どんな病気の人にも、 同じような励ましを良かれを思ってするのだと思います。 そして、自分がどんなに残酷なことを言ってるのか 理解してないんだと思います。 私の耳は、もう、一生聴覚が戻ることはありません。 これを、何度も繰り返して説明しても この「善意の励まし」の人には、通じないのです。 でも、裏返すと 「あきらめた、あなたのネガティブな思考が、治るのを妨げている」という考え方に行き着きます。 つまり、耳が聞こえないのは、私がネガティブなせいということになってしまうのです。 そうじゃないのに。 私がネガティブになってるのは、耳が聞こえない病気のせいなのに。 世の中、全て、病気が治らない人は 本人の考え方が悪いということになってしまいます。 善意の励ましの人は、善意で言ってくるだけに、たちがわるいです。 いい人たちばっかりです。 でも、本質的なことが間違っています。 腕を切り落とした人に 「あなたは、ネガティブに考えてるせいで、腕が生えてこない。 もっと、自分の可能性を信じれば完治する。人間の可能性は無限である」と 言ってるのと、同じようなことをいってるのです。 しかも、そういうことをいう人は、自分が正しいと信じきっているので、辟易します。 間違いを正すことも、自分の病気の説明をすることも 途中で諦めてしまうことがよくありました。 でも、励ませばいいってもんじゃないです。 事実に基づかない「完治への根性論、精神論」を振りかざされるのは 大変、腹立たしいものです。 病人は、普通、あなたよりも、自分の病気に関して知識を持っています。 何も知らずに「治る可能性を信じて」などというべきではありません。 可能性がないならなおさらです。 その「善意の励まし」がどんなに病人を傷つけるか わかったほうがいいと思います。 とくに、突発性難聴のように、もう、治らない病気にたいして 「善意の励まし」をするべきではありません。 (何度も書きましたが、トツナンは、治る人もいますが、発病して1ヶ月以上経過すると、 聴力は固定すると現在の医学では考えられています。 つまり1ヶ月たって、聞こえなければ、もう、治らないと言う意味です。) 22世紀には、違う治療法が確立するかもしれません。 人間の可能性は信じてますが 現在の医学では、治らないのです。 毎日、その事実に絶望してる人に 「あなたは、全ての可能性を試してない」なんて、言うべきではありません。 全ての可能性って、なんですか? 針とか東洋医学ですか? もし、知り合いに、トツで苦しんでいる人がいたら 体の苦しみを聞いて、なぐさめてあげてください。 聞こえない苦しみを聞いて、一緒に嘆いてあげてください。 苦しいね、悲しいねといってあげてください。 でも、善意の励ましだけはしないであげてください。 あと、「厄年?」ってきくのもタブーですよ。 ぶっちゃけ、何人かに聞かれたのですけど。 あきれますよ。 厄年だったら何だというのでしょう? 厄払いしてたら、治ったとでもいいたいのですか? 病気の苦しみだけで精一杯なのに 「厄年?」ってきかれたときの絶望感はいいようがありませんでした。 厄払いすることに、べつに、反対はしません。 やりたい人はやればいいんじゃないですか。 でも、くれぐれも病気で苦しんでる人に 「厄年?」って聞くのはやめてほしいです。 聞かれたほうは最低最悪の気分になりますから。 もし、その人の年齢を知りたいのなら、 「いくつ?」って聞いたほうが人間としてまだましです。 「善意の励まし」の人も、「厄年マニア」な人も 治らない病気をしたことがない幸せな人なんだと思って諦めることにしてました。 自分の考え方では、どうにも治らない病気があることを知らない。 厄払いで避けられない病気があることを知らない。 幸せな、善意の人たち。 善意の人たちは、自分たちの残酷さに気がついてないことが多い。 絶望の淵に沈んでる人には、その手の根拠のない励ましは、毒にしかなりません。 少なくとも、当時の私が必要としていたのは 善意の励ましではありませんでした。 当時私は、「苦しみをわかってもらいたい」と思っていたように思います。 率直に、私の体の状態を聞いてくれたのは、本当に少数の人たちでした。 たぶん、遠慮して聞かないようにしていたのではないかと思いますけれど。 もし、病人が近くにいるならば、その人の苦しみを聞いてあげて欲しいと思います。 たとえ、同じようにわかってあげることはできなくとも 聞いてもらえるだけで、嬉しいものです。
by shironekoeuro
| 2012-05-18 22:08
| トツナン闘病記
|
ファン申請 |
||