映画にでも行こうかと思ったけど
面倒くさくなって、ぐだぐだしていた。
ぐだぐだ
私は、最近、鬱になると
フランクルの「それでも人生にイエスという」というベタな本を読む。
これで、だいぶ、落ち着く。
作者は、「夜と霧」で有名なお方。
強制収容所に入った体験を語りながら
どんなときでも、人生には生きねばならない、と、説く。
講演会をまとめた本かな。
私は、あまり、この手の本を読まないので
他と比べてどうとは言えない。
私が、これを読んで、少し気持ちが楽になるのは
もちろん、収容所の人たちの苦しみに比べれば
私の苦しみなんて、ちっぽけだ、と思うということもあるけれど
基本的に、「人生、楽しくない」という観点から書かれているところかな。
なんか、まとめちゃうと誤解されそうなので、興味がある人は、自分で読んで。
簡単だから。
「人生に意義があるのか」と問うのは、間違った問いで
「人生は、つらかろうが、収容所に入れられようが
すべからく、生きるという責任を果たさないといけない。」
という感じ。
私のように、まじめちゃんは、この「責任を全うする」というあたりが
自分にぴったりな気がする。
こんなこと書くと、
どうして、私みたいなのが、鬱なのか、
幸せじゃないかとか、甘えだとか、言われそうだけど
私だって、頭ではそう思うわけです。
それで、また、自分を責める。
だから、そのへんは、もう、自分の性質なんだと諦めている。
さっきは、収容所に入ってる人よりましって書いたけど
それは、そのとおりなんだけど
でも、苦しみや悲しみや痛みは、人と比較して、軽いから重いからって
関係ないと思っている。
その人が、苦しんでいるなら、他から見て、くだらないと思うことであっても
やっぱり、それは、苦しいのだ。
というわけで、鬱でも、なんでも、生きるという責任は果たす。
だから、大丈夫。
ぐだぐだだけど。